思考/マインド

だから教員やめました

こんにちは。みやげんです。

今日は僕が教員をやめた理由について話します。

その前に軽く自己紹介。
1982年生まれ、元教員のWeb制作フリーランスです。

現在は、地方で美容室を9店舗、飲食店を1店舗展開している企業の
HP保守・運用、Webマーケティングを担当しています。

出身は沖縄県で、北海道で12年、地元で3年、
小学校教員として勤めさせていただきました。

Web制作フリーランスになったきっかけは、
適応障害になったこと。

1年間の休職中、人生について悩みまくりました。

悩み続けたテーマは
「このまま教員を続けるのか」
です。

きついのは、答えがわからないこと。

自問自答のルーチンワーク。
自己嫌悪のアリ地獄。

15年間これで飯を食ってきたし、
家族も養ってきましたから。

そりゃあ怖かったです。辞めるのは。

でも、辞めました。

理由を端的に言うと、
「自分が一番大切だから」。

ちょっと身勝手だなと思うかも知れませんが、
この考えに僕なりに納得できたので、
今はストレスのない元気な生活を送れています。

以下の記事では、
僕が「自分が一番大切」という思考になれた物語を書いています。

よろしければ最後までお付き合いください。

これまでの日常世界

元気のいい先生

僕は高校時代に先生になりたいと決意し、
1浪したあとに通信制の教育大学に入りました。

バイトで学費をためた経験は、
今でも自信になっています。

通信制の大学だったので、
地元沖縄にこだわらず、
22歳で北海道に行きました。

そこで大学の勉強を続けながら、
補欠教員として生計を立てていました。

26歳の時に採用試験にも合格し、
本採用教員としての人生を歩み始めます。

自分で言うのも何ですが、
「元気な先生」だったので、
子ども・親からも信頼はあったと思います。

(もちろん、いろんな事件を乗り越えてきましたよ笑)

毎年、「来年もうちの子よろしくね」みたいなことは言われてました。

年齢を重ねるごとに、担任だけでなく、
学校組織の仕事も当然ですが請け負うようになりました。

生徒指導部長・研究部長などです。

まあ、学生時代に思い描いていた理想の教員生活を送っていた感じです。

でも、いつしか僕は教員の仕事に対してやりがいを感じなくなっていました。

仕事が追いつかなくなった

僕にも家族ができて、「父親」になれました。

でも、朝早く、土日も仕事して、
家族との時間を作れてはいませんでした。

僕は「仕事の効率が悪い」と反省し、
「時間術」とか「仕事ができる人の特徴」、
「仕事を断る術」などの本を読みあさりました。

でも、時間が生まれたのは気休め程度で、
家族をないがしろにする「父親」に変わりはありませんでした。

やばいのは、今でこそ「家族をないがしろにした」とか
言ってますけど、当時はそれに気づいてさえもいなかったんです。

仕事をするのが当たり前みたいな感じですね。

実力の無さを日々痛感

仕事が回らなくなると、自分に自信がもてないわけで。

心の内ではイライラして、表面ではビクビクしていました。

口が強い人の意見を承諾し、

機嫌が悪い人にへつらう。

怒る人と同じ部屋にいると仕事が進まず、

言い返せない、納得していないのにYesと言って裏で愚痴る。

最悪です。

地元に戻ってきて、一時的には回復していましたが、
半年くらいで同じ状況に戻りました。

年功序列に従う・話を合わせる・怖い人の意見が通る

ビクビクする、イライラする、できない自分にヘコむ。

寝れない、布団から出られない。そんな日々が3ヶ月近く続いたと思います。

家も怖い

職場に行くのも怖くなっていたのですが、

家にいるのも怖くなっていました。

嫁さんにどう思われているんだろう。

これやったら怒られるかなぁ。

そんなことばっかり考えていました。

(嫁さんは優しいですよ笑)

子どもにも当たってたと思うし、

何より、一緒にいる時間を楽しんでいなかったです。

おとずれた非日常世界

眠れない・起きれない・やる気でない・周りが怖い。

常にボーッと考え事をしていた僕は、バイクで自損事故を起こしました。

鎖骨骨折。

幸い、頭とかは打っておらず、後遺症とかも残りませんでした。

手術・入院で一週間ほど仕事を休みましたが、

動けるようなったので復帰しました。

それがさらに状態を悪化させたと今は思います。

右手が使えないので仕事は遅くなるし、

周りが気を使ってくれているのもストレスになり、

どんどん職場に行くのが怖くなりました。

まずは、薬をもらって寝よう。

そんな感じで心療内科を受診しました。

1年間の休職

診断結果は、「適応障害」、うつ病の一歩手前です。

僕は、母親がうつ病だったので、
病気のことを少し知っていました。

だから、早めに受診できました。

本当に良かった。

一度深みにハマると、抜け出せなくなるのがこの病気です。

ぼくは、それを知っていたので、

まずは薬を飲もうと思ったのです。

適応障害の結果が出ても、休職願いを出すのには悩みました。

怖かったです。

職場の方にも大丈夫だよ、
もう少し楽にやろうよ、
気づいてあげられなくてゴメンね、
一週間たっぷり休んだら気分変えてみたらどう?
みたいなことも言われました。

ありがたいと思ったけど、
休みました。

理由は「逃げたい」
ただそれだけでした。

プライドもクソもなかったです。
なに言われたっていい。
休む怖さより、行く怖さのほうが大きかった。

それだけです。

規則正しい生活

信頼できる心理カウンセラーに出会うことが出来、治療が始まりました。

早寝・早起き・3度の食事・適度な運動。

まずはこれ。
これだけです。

規則正しい生活をする。体をまず大事にする。

これがうつ病を回復させるのに効果的だそうです。

言われるがままにやりました。

1ヶ月ぐらいでしょうか。徐々に寝れるようになってきて、

カウンセラーの先生の助言のもと、
自分と向き合う話しができるようになってきました。

プログラミングとの出会い

僕の一番の悩みは、「教員を続けるかどうか」でした。

「やめたい。でも何する?何ができる?」
「アラフォーで教員しか経験のない人間が社会に通用するのか?」
「15年やってきて辞めるのか?」
「児童たちから逃げるのか?」
「安定した収入がなくなるぞ」

毎日のように考えました。

そしたら、プログラミング関係のYouTubeを見つけたんです。

うる覚えですが、

・時代に求められているスキル
・場所を選ばずに仕事ができる

こんな言葉に魅力を感じました。

しかも、小学校でもプログラミング教育が始まる。

そこでピンときたんです。

辞めるか、辞めないかは、
まずプログラミングを学んでから決めよう。

当時の僕は、まだ精神が不安定だったので、
「決める」ことが非常にストレスでした。

でも、プログラミングの存在を知ったおかげで、
一歩前に進めたような気がしました。

それで、プログラミングスクールに通ったんです。

「休職中に他の勉強なんてけしからん」
「転職の準備をしただけじゃないか」

そんなことも言われるでしょう。

でも、いいんです。

僕は、教員に戻るか、戻らないかを真剣に判断するために
プログラミングを学ぼうと決めました。

プログラミングを学ぶことによって、
プログラミングが指導できる教員として復帰できるとも考えていました。

自信をつけたかったんです。

自分はできる。

ただ言われたことをやるだけの人間じゃない。

必要とされている。

そんな自分になりたかったんです。

プログラミング講師との出会い

僕にプログラミングを教えてくれた講師は、

ビジネスについても語ってくれました。

「お客様の課題を解決してあげることが大事」

そのための手段として、ホームページがあるだけだ。

お客様にとって、「チラシ」が必要だったら、
ホームページではなく、チラシを作ろう。

そしたらお客様は、「なんぼでも払ってくれる」

そんなことを学びました。

衝撃でした。

ビジネスって、いい商品を作って売る。

みたいな浅い考えだったのです。

ホームページを作るのが仕事ではなくて、
お客様の課題を解決する為に、ホームページを活用する。

面白い。教育と一緒じゃないか。

僕の見えてた世界が変わり始めました。

この商品は、
どんな悩みを抱えた人に、
どんな価値を提供するのか?

価値が伝わるためには
どんなデザインが良いのか?
どんな言葉がいいのか?

そもそも、お客様の悩みってなんだろうか?

ホームページを1つ作るだけで、
考えることはたくさんあります。

勉強すればするほど、
知らない世界がどんどん見えてくるのに快感を覚えていました。

仕事ができた

プログラミングスクールを卒業して、
知人のホームページを無料で作りました。

制作には2ヶ月くらいかかりました。

勉強と本番はプレッシャーが違いすぎてびっくりします。

何度も打ち合わせを重ねて、
納得していただき、Web上に公開できました。

自分で作ったホームページが、ネットにある。

かなりの自信になりました。

いける。

僕が、教員を辞める決断ができたのは、
この経験のおかげだと思います。

非日常世界を、日常世界に

教員を辞めるに当たって、超えなければならない壁はいくつかありました。

辞めると決めて、生まれた悩み

  • 児童たちから逃げたのか?
  • 実力がないのを人のせいにしてないか?
  • 15年もやってきたのに無駄じゃないか?
  • 自分のことだけ考えていいのか?
  • 安定を捨てると、家族は不安じゃないか?
  • 本当に自分はできるのか?
  • もし失敗したらどうする?

この頃の僕は、半年前に比べると自信がついてきていたので、
「やめたい」感情に素直に向き合い、以下のように悩みの壁を超えました。

児童たちから逃げたのか?

そもそも、教員として児童が嫌になったわけではない。
教えるのは今でも好き。

逃げる逃げないの話ではない。

強いて言うなら、「仕事を変える」という話。

実力がないのを人のせいにしてないか?

15年も教員できたし、実力が無いわけではない。

もちろん自分よりすごい教員はいっぱいいる。

まだまだ実力不足なのは承知の上。

でも、他の職業にチャレンジしてもいいんじゃないか。

15年もやってきたのに無駄じゃないか?

逆に、人生100年の中で教員しか知らないのもどうかと思う。

自分のことだけ考えていいのか?

いい。

自分が幸せにならないと、
他人を幸せには出来ない。

まずは自分が幸せになって、
それから他人に分け与えたい。

安定を捨てるのは不安

そもそも、公務員の給料で安定なのかが微妙。

国がぶっ壊れても稼いでいける人材になりたい。

もし失敗したらどうする?

教員に戻る。
アルバイトをする。

失敗しない実力をつける。

もう若くはない。

とにかく成功者のまねをしよう。

行動したから、思考が変わった。

プログラミングを学び、結果が出たので、
僕は思考が変わっていました。

最終的には

「どんな行動しても、死なないな」

と思いました。

かなり精神が落ち着いていたと思います。

まずは、自分が幸せor納得できる状態に

プログラミングを学び、自信をつけたことで、
僕は家族と過ごすのは怖くなくなりました。

不思議なことに、イライラもしないし、
嫁さんのことも怖くありません。

でも、周りが変わったわけではないと思います。

1年前から、家族はずーっと同じように接してくれているんです。

僕が勝手に怖がったり、イライラしたりしてただけ。

つまり

「自分が幸せになったから、見える景色が変わった」

のです。

人間は感情的な生き物なので、
感情を正当化するための理由を探します。

僕が職場に対して、
年功序列だの、
話を合わせるのが辛いだの、
怒る人が怖いなど、
結局は「やめたい」を正当化するための
後付けの理由でしかないと気づきました。

今思えば、教員をやめたかった。
ただそれだけです。

自分が納得していない世界に身を置いていると、
どんなものでも納得できない状態に見えるだけ。

心のフィルターが汚れていたら、
見えてる世界も汚れてると錯覚するんです。

だから教員やめました。

日常世界を変える

教員をやめたことで、
見える世界は急激に変わっていきました。

Web制作を通して、
ビジネスの全体像が見えるようになってきたのです。

広告の意図・文章の意図
コンテンツの意図・人が行動する理由

様々な要素が成り立って商品は売れます。

これがビジネスです。

要素の1つに、
ホームページが存在します。

僕はそのホームページを作ることで、
今生計を立てているのです。

どんな文章を書いたほうが良いのか、
どんなコンテンツを投稿したほうが良いのか、
どんな広告が人を動かすのか。

考えることは山程あります。

でも、全然苦じゃないんです。

仕事術の本も読んでいませんし、
自分でスケジュールを立てて
仕事をこなしています。

自分の意志で
やりたいと思った仕事は、
はかどります。

自分の意志を大切にしたから、
苦しくないんです。

今は、教員をやめて本当に良かったと思っています。

1つこだわっているのは、

「教員はやめたけど、教師はやめていない」

へ理屈だと思われるかも知れませんが、
教師は今でもできます。

学校じゃなくても、
何かを教えることが出来たら立派な教師です。

まずは自分に正直に、
自分を大切にすることで、
心に余裕が生まれる。

そして、自分が幸せになることで、
人を幸せにできる準備が整う。

仕事を嫌々やって、自信もない。
実力をつけるモチベーションも生み出せない。
ストレスのはけ口で酒と愚痴。

そんな人間が大切な人を幸せにできるはずがありません。

だから教員やめました。

感情に正直に「自分が一番大切」だからやめた。

まずは「自分が幸せにならないと始まらない」からやめた。

これが僕が教員をやめた理由です。

最後まで聞いていただき、ありがとうございました。

ABOUT ME
みやげん
アラフォーからプログラミングを学び独立。Webスキルを身につけて、個人で稼ぐ方法を発信します。
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